私がベジタリアンにならないワケ
私がイギリスに行ったときに驚いたのが、パブやレストランに、必ずと言ってよいほどベジタリアン*1のオプションがあること。
日本ではベジタリアン専用メニューというのはあまり見かけたことがなかったので、それは、数少ない私のカルチャーショックの一つとなった。
健康にもそれなりに気を遣っていたのと、単純にベジタリアンがどんなものを食べているのか興味があり、パブに行くときはたまにベジタリアンメニューを注文したりしていた。
その中でも特に好きだったのが、当時住んでいた地域で一番かわいくてオシャレでおいしいと思っていたバー兼カフェのEnglish Breakfast*2に含まれていたベジタリアンソーセージ。
お肉は一切使われていないのに、お肉を食べたかのような満足感があって好きだった。
あとパティがビーンズで作られていたり、お肉に変わりに大きなマッシュルームを挟んだベジタリアンバーガーなんかも好きで、パブに行くたびによく食べていた。
そんな感じで、ベジタリアン料理って結構おいしいということに気づいたのと、あとフラットメイトにイタリア人のベジタリアンがいたのにも影響されて、私もベジタリアンになろうかな、と割と真剣に考えた時期があった。
でも、やっぱり私はベジタリアンにならないと決めた理由はいくつかあって、その中の一つは、私が豚とか牛とか鶏に対して、人間の食用のために殺されることをかわいそうだと思わない人間だったこと。
私は料理が好きで、イギリスにいた頃住んでいたフラットには割と大き目のキッチンがあったのでよく料理をしていたんだけど、
そこで鶏肉のマリネを作っていた時、
「この鶏肉、ピンク色でラブリーだなあ美しい」(この時ハマってよく見ていたイギリス人の料理研究家Jamie Oliverの影響が大きい。彼は料理に対して、beautiful, lovely, fantastic等の形容詞をよく使う)
とか考えながら揉みこんでいた時に、自分は多分動物が人間の食用のために殺されるのを、ありがとうとは思うけど、かわいそうとは思わないんだなと気づいた。
もちろん動物の育て方や殺され方が非道徳的であるのには大反対で、お肉はなるべくオーガニックを買うようにしているし、卵はどんなに高くても放し飼いをされた鶏のものを買うようにしている。
そういうところに気を遣いながら、食べる時はちゃんと感謝して食べれば、別にベジタリアンにならなくてもいいや、と思った。
やっぱり本物のお肉がどうしても食べたくなるときがあるし、それを我慢してしまう方がなんだか動物たちに失礼な気がする、なんとなくだけど。